博多を愛した。祭りを愛した。博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄

 福岡デザインアクション(略称:FUDA、2011年11月設立)のアーカイブス事業の一つであるデザインアーカイブス「福岡デザイン史」編纂に当たって、そのトップを飾る記念すべきグラフィックデザイナーは、博多を愛し、祭りを愛した、博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄(大正12=1923年5月31日〜平成13=2001年9月30日)を置いて他にいないことは、すでに誰もが認めるところであろう。

語り

株式会社アトリエ童画
代表取締役社長
西島雅幸氏(グラフィックデザイナー、プロデューサー)

聞き手

江藤 実(FUDAディレクター)
橋本 明(FUDAコピーライター)

今日では、童画作家として高名を遺し、その懐かしい作風で今なお広く親しまれている西島伊三雄は、戦後、広告ポスターの草分けの時代から、九州・福岡のデザイン界の魁として常にトップを走り続けてきた。観光ポスターで数々の賞を受賞して全国にその名を馳せ、ラベル、パッケージ、シンボルマーク、ロゴタイプ、イラスト、童画、カレンダー、襖絵、造形、壁画の制作などあらゆるグラフィックデザイン関連の仕事をはじめ、画文集など多くの著作や、美術団体審査員、テレビの司会、デザイン関連および文化団体の設立、国内外の文化交流使節、デザイン専門学校校長、大学講師、博多町家ふるさと館館長、地元政財界との交流まで、まさしく文化全般にわたって、超人的といえる活動にその才能と情熱を呈してきた。

その間、持続して常に西島伊三雄の思いの中心にあったのは、郷土愛であり、地域性へのこだわりであり、地域の文化=祭り(誇り)を何より大切にする精神であり、同時に多くの若い人材の発掘、育成への惜しみない思いであった。

今回、FUDAのデザインアーカイブス「福岡デザイン史」の立ち上げに際し、特集の第1弾に「西島伊三雄」を組むに当たって、令息である、株式会社アトリエ童画代表取締役社長 西島雅幸さん(グラフィックデザイナー、プロデューサー)を2回にわたって長時間取材させていただいた。この『特集:博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄』は、その取材テキストを基に構成・編集したものである。

西島伊三雄の作品の多くはすでに世に知られているが、それら数々の作品に加え、厳父(尊父)であると同時に、博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄とともに暮らし、その生き方、考え方、日頃の仕事振り、折々の人間性に最も直近で触れ、感じ、じっと見詰めてきた雅幸さんの奥深い実話を今また重ね合わせることで、読者は、人間西島伊三雄の実像とより身近に接する体験を得ることになるであろう。

『博多祇園山笠疾走の図』(九州大学病院外来棟ロビー有田焼壁画)

博多座ロゴマーク

博多座のシンボルマークは、「博多祇園山笠」の力縄をモチーフに、人と人、心と心の固い結びつきを松の形とし、縁起の良い末広がりとしたデザイン。ロゴタイプは、歌舞伎などで大入り満員を願い文字を肉太に書く伝統に倣ったもの。筆法も「はね」の代わりに「止め」を使い、お客様が外に出ていかないようにと縁起を担ぐ、など劇場側に配慮しながら粋で力強くモダンな感じが出るように工夫された。

童画『赤トンボ』

 


文:橋本明(FUDAコピーライター)