博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 (7)
「どげんしたら自分の描いた絵が、人の目に触れるか。 なら、ポスターで1等賞とったらよかろうもん」 -ニシジマ図案社開業~観光ポスターに全力投球時代- [昭和22(1947)年~昭和50(1975)年] <1部:フリーデザイナーとして独立~「宝くじ」ポスターで特待賞受賞> 「子どもの頃から目立ちたがり屋だった父が、映画の看板の次に出合ったのが観光ポスターだったとです」と、雅幸さんは、尊父、西島伊三雄 […]
博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 (6)
「赤は傷薬の赤チンやろ、黄なはマラリアの薬キニーネばすり潰してくさ、緑はその辺の草の汁たい」 ービルマ・メルギー島にて終戦~ムドン収容所で描いた「ビルマスケッチ」ー [昭和18(1943)年~昭和21(1946)年] <1部:広島呉港から南方へ~終戦~収容所生活の中でスケッチ> 昭和18(1943)年12月、佐世保第一海兵団(海軍)に入団した西島伊三雄二等水兵は、約1週間後、広島の呉港から輸送船に […]
博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 (5)
「鞍馬天狗やら丹下左膳やら、 こげな看板の絵が描けたら、よかろうねー」 ー15歳「トヨタ図案社」入門、図案修業時代~朝日広告社入社、海軍入隊ー [昭和13(1938)年~昭和18(1943)年] 子どもの頃から絵を描くことが大好きで、将来は画家になりたいと夢見ていた西島伊三雄少年は、映画も好きで、学校を出たら、とりあえず映画館の“看板絵描き”になろうと思っていた。「この辺が後の、グラフィックデザイ […]
西島伊三雄氏の経歴
最終更新日:2013.7.18 博多を愛した。祭りを愛した。博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 西島伊三雄氏の経歴 1923年 大正12年 福岡市街に生まれる(5月31日) 1931年 昭和06年 8歳 満州事変勃発(9月) 1936年 昭和11年 13歳 御供所尋常小学校卒業(3月) 1938年 昭和13年 15歳 福岡男子高等小学校卒業(3月)福岡市の図案家、豊田好夫に入門(4月) 1939 […]
今後の掲載予定
【連載記事】博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 戦地で聞いたハーモニカ 「ふるさと」を唄いながらみんな涙した 童画作家の原風景 全日本観光ポスターコンクールで次々に大賞受賞 大阪万博の幻のシンボルマーク事件 ナショナル冷蔵庫「花束」1等賞金と「歩みの箱」 二科会〜日宣美の頃 RKBテレビ「やあ今晩は」テレビ司会者 テレビ天気予報 絵のおじさん 九州グラフィックデザイン協会設立 博多祗園山笠ハワイ遠征 […]
博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 (4)
「昔は、次郎丸にゃ、蛍が飛びよったと。 なら、いつか蛍が帰って来るごたあマークばつくりやい」 -福岡市営地下鉄各駅のシンボルマーク-昭和56(1981)年〜平成17(2005)年ー 博多を誰よりも愛したグラフィックデザイナー 西島伊三雄は、繰り返し描いた博多の三大祭り「博多どんたく」(5月)、「博多祗園山笠」(7月)、「放生会」(9月)の作品でも親しみをもって広く知られているが、私たちにとって […]
博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 (3)
「こりゃ、ネーミングがよーなか。 “うまかっちゃん”って、いいっちゃないや」 -博多ラーメン『 うまかっちゃん』誕生実話-昭和54(1979)年ー 今ではすっかり人気商品となった博多ラーメンの豚骨スープ『九州の味ラーメンうまかっちゃん』だが、昭和54(1979)年新発売当時、東京のハウス食品工業が九州限定の豚骨味ラーメンとして九州で売り出したいと企画していた商品で、広告代理店を通じて、西島 […]
博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 (2)
「絵が上手うなろうと思わんでよか。 じっくり見て、考える力を養えばよかと」 ー大学非常勤講師時代 昭和33(1958)年ー 高等小学校しか出ていない西島伊三雄が、大学で話をするようになったのは、二科会商業美術部門の審査員になった2年後の昭和33(1958)年4月、35歳の頃だった。佐賀大学の特設美術科非常勤講師で、それが大学で教えることになった最初である。その後、九州産業大学や九州 […]
博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 (1)
博多を愛した。祭りを愛した。博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 福岡デザインアクション(略称:FUDA、2011年11月設立)のアーカイブス事業の一つであるデザインアーカイブス「福岡デザイン史」編纂に当たって、そのトップを飾る記念すべきグラフィックデザイナーは、博多を愛し、祭りを愛した、博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄(大正12=1923年5月31日〜平成13=2001年9月30日)を置いて他にい […]