1923年 |
大正12年 |
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1931年 |
昭和06年 |
8歳 |
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1936年 |
昭和11年 |
13歳 |
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1938年 |
昭和13年 |
15歳 |
- 福岡男子高等小学校卒業(3月)福岡市の図案家、豊田好夫に入門(4月)
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1939年 |
昭和14年 |
16歳 |
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1941年 |
昭和16年 |
18歳 |
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1942年 |
昭和17年 |
19歳 |
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1943年 |
昭和18年 |
20歳 |
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1945年 |
昭和20年 |
22歳 |
- 太平洋戦争敗戦(8月15日)
- 一度も戦闘することもなく、ビルマ(現ミャンマー)のメルギー島で終戦。
- 英軍の捕虜としてムドン収容所暮らしの間に、ビルマスケッチを描く。
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1946年 |
昭和21年 |
23歳 |
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1947年 |
昭和22年 |
24歳 |
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1948年 |
昭和23年 |
25歳 |
- 門鉄(旧国鉄門司鉄道管理局)の観光ポスターコンクール始まる
- 九州のデザイナーにとって登竜門となる。
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1951年 |
昭和26年 |
28歳 |
- 二科会商業美術部創立と同時に出品、「宝くじ」のポスターで二科会特待賞、賞金3万円(9月)
- 二科会の総帥東郷青児来博
- 西島伊三雄に続いて九州の大部分のデザイナーが二科会に入会
- 日宣美(日本宣伝美術会)発足
- 門鉄の観光ポスターコンクールは、この年から全日本観光連盟本部主催となり、実際に使用された印刷ポスターを競うようになる。
- 旧国鉄の「太陽とみどりの国九州を行く」という『観光案内所』の扉に、当時、朝日新聞西部本社広告部で図案の仕事をしていた松本清張作の「九州へ」と題した観光ポスター(昭和26年)が掲載される。
- この頃、西島伊三雄が会員だった九州図案家協会に松本清張も参加しており、二人の交流を物語るはがきが残されている。
- 松本清張は、日本観光協会主催の「全国観光ポスターコンクール」で、天草をテーマにしたポスターで2等に入賞している。
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1955年 |
昭和30年 |
32歳 |
- 二科会に出品して5年目に二科会員、二科会商業美術部門審査員となる
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1956年 |
昭和31年 |
33歳 |
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1958年 |
昭和33年 |
35歳 |
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1959年 |
昭和34年 |
36歳 |
- 二科会を退会(3月)
- 門鉄の世界観光ポスターコンクール最優秀賞「玄海国定公園
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1960年 |
昭和35年 |
37歳 |
- 日宣美会員となる(3月~46年7月)
- 九州のデザイナーの殆どが入会し、日宣美の全国組織が完成する。
- 図案屋からグラフィックデザイナーへの意識の変革期
- RKB毎日テレビ『やあ、今晩は』の司会として出演(~36年9月)
- アルゼンチンで開催の世界観光ポスターコンクール最優秀賞(12月)
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1961年 |
昭和36年 |
38歳 |
- 日宣美中央委員、審査員(~昭和45年10月日宣美解散まで)
- 第1回全日本観光ポスターコンクール最優秀賞
- 全日本観光ポスター展運輸大臣賞「明るい南のくに九州」
- RKB毎日テレビ天気予報絵のおじさん(10月~39年10月)
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1962年 |
昭和37年 |
39歳 |
- KBCテレビ天気予報絵のおじさん(10月~39年9月)
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1965年 |
昭和40年 |
42歳 |
- 全日本観光ポスターコンクール大臣賞、金賞、銀賞
- 福岡文化連盟設立(9月)
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1966年 |
昭和41年 |
43歳 |
- 全国のデザイナー17名の指名による大阪万国博シンボルマークコンペで1位を獲得したが石坂泰三万博協会会長の鶴の一声で再選となる(2月)
- 九州地区からは西島伊三雄一人だけ指名された佐賀大学特設美術科非常勤講師(4月~42年3月)
- ナショナル冷蔵庫ドアデザイン全国コンペで「花束」特選(賞金100万円)および同佳作(賞金20万円)を受賞(11月)
- 賞金120万円(税金分を差し引いた全額)を心身障害児救済支援の『あゆみの箱』に寄附、これが縁で第1回チャリティショー九州大会(12月)以降毎年ポスターを制作寄贈
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1967年 |
昭和42年 |
44歳 |
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1969年 |
昭和43年 |
45歳 |
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1967年 |
昭和44年 |
46歳 |
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1970年 |
昭和45年 |
47歳 |
- 大阪万国博福岡館壁画制作
- 第1回九州沖縄グラフィックデザイン展開催(8月)
- 日宣美解散(10月)
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1971年 |
昭和46年 |
48歳 |
- 九州グラフィックデザイン協会設立、会長(6月~)
- 在宅心身障害児(者)養育訓練施設「やすらぎ荘」建設に際して油絵『かごめかごめ』(80号)寄贈
- 伊万里市民会館1階正面ロビーに直筆陶板大壁画制作(6月)
- 『焼き物製作過程』(タテ2.6m×ヨコ15m)
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1972年 |
昭和47年 |
49歳 |
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1973年 |
昭和48年 |
50歳 |
- 福岡県観光審議会委員(1月~59年1月)
- 童画集「日本の十二ヶ月」著福岡文化連盟副理事長(7月~)
- 博多町人文化連盟創立、理事長(8月~)
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1974年 |
昭和49年 |
51歳 |
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1975年 |
昭和50年 |
52歳 |
- 福岡市美術展審査委員(2月)
- チンチン電車廃止(11月1日)
- 第1回博多町人文化勲章「もろうてもらう賞」
- 山陽新幹線東京ー博多間開通(3月)
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1976年 |
昭和51年 |
53歳 |
- 博多駅正面に「博多祇園山笠」のレリーフ鋳造大壁画制作(2月)
- 福岡県屋外広告物審議会委員(3月~58年3月)
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1977年 |
昭和52年 |
54歳 |
- 大濠高校バスケット部を引率、米国オークランドで親善試合(8月)
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1978年 |
昭和53年 |
55歳 |
- サンフランシスコ「さくら祭り」100名のどんたく隊の団長として参加
- 福岡市文化賞受賞日本グラフィックデザイナー協会設立(8月)
- 「全国郷土祭」で東京国立競技場の博多祗園山笠に参加(10月)
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1979年 |
昭和54年 |
56歳 |
- 西島伊三雄童画集『私の思い出』著(レイアウト:西島雅幸)(1月)
- ハウス食品工業から九州限定の豚骨味ラーメン『九州の味ラーメンうまかっちゃん』新発売(9月)のネーミングおよびパッケージデザイン制作
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1980年 |
昭和55年 |
57歳 |
- 福岡市地下鉄の各17駅シンボルマーク制作
- ハワイへ博多山笠遠征(9月)
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1981年 |
昭和56年 |
58歳 |
- 日本デザイナー学院九州校校長就任(4月~)
- 福岡国際空港ビルにモザイクタイル壁画制作(4月)
- 福岡市営地下鉄・室見~天神間開業(7月)
- 福岡県新庁舎展望室に「博多五大祭り」つづれ織り壁画制作(9月)
- 西日本文化賞受賞(11月)
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1982年 |
昭和57年 |
59歳 |
- 福岡82大博覧会会場(大濠公園)に「博多想い出通り」提案(3月)、「博多想い出通り」のポスター制作通りも人も明治時代の博多の町並みを再現(設計:中島勉)した「思い出通り」は想定外の人気を呼び大成功を収めた。福岡市姉妹都市締結20周年米国オークランドどんたく参加(10月)
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1683年 |
昭和58年 |
60歳 |
- イタリーの日本オリベッティ社依頼干支(子)木版画制作
- 福岡市西区能古島に「博多思い出通り」移設(3月)
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1984年 |
昭和59年 |
61歳 |
- 社団法人日本グラフィックデザイナー九州地域担当理事
- 日中友好・西日本文化交流の船「新さくら丸」で上海ー北京ー万里の長城(5月)
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1985年 |
昭和60年 |
62歳 |
- 第45回国民体育大会福岡県広報専門委員長
- 全日本広告連盟「衣笠賞」受賞、アジア太平洋博覧会評議員(12月)
- 『暮らしの手帖』編集部へビルマスケッチの資料を送る
- NTT『博多ものしり読本』刊行
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1986年 |
昭和61年 |
63歳 |
- 博多駅筑紫口正面噴水塔に「山笠・どんたく」の陶板制作(4月)
- 福岡市姉妹都市文化交流ニュージーランド・オークランドどんたく参加(6月)
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1987年 |
昭和62年 |
64歳 |
- 郵政局福岡版お年玉年賀状制作(~平成○年)
- 郵政局64年度九州各県版お年玉年賀状制作「墨絵童画個展」はせがわ仏壇展にて開催(2月)
- 福岡市美術館にて日本デザイナー学院卒展と同時「個展」(3月)
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1988年 |
昭和63年 |
65歳 |
- 童画集「あの頃」著、童画個展(岩田屋画廊)
- 福岡市観光協会カレンダー制作福岡市姉妹都市文化使節フランス・ボルドー旅行(10月)
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1989年 |
平成元年 |
66歳 |
- 石堂橋橋梁に山笠のデザイン制作(3月)
- 西日本文化使節「ふじ丸」で上海・杭州へ(5月)
- 福岡市市制施行百周年表彰(6月)
- 福岡県教育文化功労賞(11月)
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1990年 |
平成2年 |
67歳 |
- 福岡県美術協会名誉会長(4月)
- 福岡市文化使節マレーシア・イポー市訪問(5月)
- 『暮らしの手帖』7・8月合併号(終戦記念特集)に「ビルマのスケッチ」掲載
- 「ビルマのスケッチ展」(福岡シティ銀行ロビー)
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1991年 |
平成3年 |
68歳 |
- 九州郵政局長感謝状(4月)
- 福岡広告協会第1回「福岡広告功労賞」(6月)
- 文部大臣より地域文化功労賞(11月)
- 福岡市営地下鉄空港線(恵比寿駅、空港駅)シンボルマーク制作
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1992年 |
平成4年 |
69歳 |
- 西日本新聞「聞き書きシリーズ」連載(1月~4月)
- 西日本文化使節ジャカルタ旅行(9月)
- 九州エネルギー館10周年記念「半生と童画展」(11月)
- 光福寺(直方市)童画襖絵制作
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1993年 |
平成5年 |
70歳 |
- 西島伊三雄画文集『すんまっせん』著(アートディレクター:西島雅幸氏)(3月)
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1995年 |
平成7年 |
72歳 |
- 博多町家ふるさと館初代館長(8月~
- 横綱貴乃花の化粧まわしをデザイン
- NHK朝の連続テレビ小説『走らんか!』題字制作
- ブロンズ像『まちぼうけ』制作(柳川市白秋道路沿い武家屋敷「十時邸」前)
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1996年 |
平成8年 |
73歳 |
- 財団法人九州文化協会専務理事(4月~平成13年逝去)
- 「博多座」のマークとロゴ制作
- 福岡アジア文化賞委員会委員(6月~)
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1997年 |
平成9年 |
74歳 |
- ブロンズ像『博多やまかき小僧』制作(福岡市中央区役所玄関前水時計脇)
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1998年 |
平成10年 |
75歳 |
- 光福寺(直方市)板戸絵『日本の四季』制作
- 博多新劇座
- 博多織どんちょうデザイン
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1999年 |
平成11年 |
76歳 |
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2001年 |
平成13年 |
78歳 |
逝去(9月30日)
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2002年 |
平成14年 |
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- 福岡市文化特別栄誉賞西島伊三雄記念碑『赤とんぼ』設置(能古島アイランドパーク広場)
- 童画美術館「わらべ館」(能古島アイランドパークわらべ館)
- 『西島伊三雄童画の世界』常設展示場(九州エネルギー館併設施設「あかりの館」1階)
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2003年 |
平成15年 |
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2004年 |
平成16年 |
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2005年 |
平成17年 |
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- 福岡市営地下鉄七隈線各駅シンボルマーク制作および陶板モニュメント(童画)設置
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2009年 |
平成21年 |
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- 九州大学病院外来棟ロビー有田焼大壁画『博多祗園山笠疾走の図』(縦4.8m×横17.5m)
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2011年 |
平成23年 |
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- 『博多どんたく』の作品が日本郵便発行『ふるさとの祭り』第6集記念切手に(全国販売)
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2012年 |
平成24年 |
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- 九州地区クオカードに『博多祗園山笠』のデザインを採用(5月)
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