「絵が上手うなろうと思わんでよか。

じっくり見て、考える力を養えばよかと」

ー大学非常勤講師時代 昭和33(1958)年ー

 

高等小学校しか出ていない西島伊三雄が、大学で話をするようになったのは、二科会商業美術部門の審査員になった2年後の昭和33(1958)年4月、35歳の頃だった。佐賀大学の特設美術科非常勤講師で、それが大学で教えることになった最初である。その後、九州産業大学や九州芸術工科大学(現九州大学)でも講師を務めたが、大学へ出かけて行くと、話をする内容のことよりも、学生達が吸った煙草の吸い殻が散らかりっ放しだったり、掃除をしていない、整理整頓できてない、挨拶ができないなど、学生たちのだらしなさばかりが気になって、気分は講義をするどころではなかった。

 

「あんた達は、頭はいいかも分からん、絵もうまかろうけど、こげなこつがちゃんとできんとつまらんばい」と厳しく指摘しても改善されなくて、どうしても本気で学生を教える気がしなかったらしい。それでも、しばらくは大学へ出かけて行ったが、講義の内容は、デザインの技術的指導というより、デザイナーとしての根本的な物の見方、考え方についての話が多かった。

「よーと物ば見ること、物の仕組みをきちんと知ること。まず、デザイナーとして、ほんものを見ること。写真じゃなく、その場所に行って自分の眼で直接確かめる。例えば、柊やったら、葉っぱどんな形をしているのか、じーっと細かく見らないかん。(植物の)万両と千両の違いはどこか、紅い実が付いている位置がどう違うのか。それを知っとかな、後で子ども達にも教えられんやろ」

「紅葉もいろいろな種類がある。イロハモミジというのが、これがよかったい。ちいそしてね。段々と黄葉していって、次第に赤う染まっていく。その様をじっくり見とかな。自分でお金を使うてでも京都へ見に行かなと、将来デザインの仕事する上で、物を見る力を身に付けることの大事さを教えた。

「問題は、その時、あんた達が感動するかどうか。感動したらよかとのできろうや。何も思わんやったら、つまらんばい。そこでおしまいたい」

講義を始める時に、学生達にいつもしつこく語っていた言葉がある。

「絵が上手うなろうと思わんでよか。これが、どげんなっとーとかを、じっくり見て、考える力を養えばよかと。社会に出て仕事を始めたら、いろんなお客さんがおって、いろんな商業デザインを頼まれる。それにちゃんと対処していかな仕事は来んとやけん、ものをよーく知っとかな、お客さんの要求にちゃんと応えられんちゅうこと

その時、よく教材として話に出てきたのが、かつて自分が手がけることになった、今も袋麺の人気商品である博多ラーメン、ハウス食品の『九州の味ラーメンうまかっちゃん』誕生の物語だった。

余談だが、西島伊三雄は、誰と話すときも常に博多弁だった。後に、昭和36(1961)年に日宣美(日本宣伝美術会)中央委員、審査委員になってからも、亀倉雄策さん(グラフィックデザイナー、東京オリンピックのポスター制作)や、中村誠さん(グラフィックデザイナー、資生堂)、横尾忠則さん(グラフィックデザイナー、美術家)らと話すときでも、あの独特のガラガラ声の博多弁でずーっと通したが、意外に人気があった。それも、西島伊三雄の人柄故であったのだろう。

文:橋本明(FUDAコピーライター)