「福岡の応接間」として生まれた福岡初の本格的都市型ホテル
西鉄グランドホテル
西鉄グランドホテル
〒810−8587
福岡市中央区大名2−6−60
https://www.grand-h.jp/
1969年(昭和44年)4月21日開業。
福岡は西日本の行政、経済、文化、観光の拠点として
飛躍を遂げつつあった。
福岡にはホテルが少ない。福岡には本格的なホテルがない。
そんな要望に応えられる、また国際交流の場としてもふさわしい、
規模と品格を備えた都市ホテルの誕生が望まれていた。
「福岡の応接間」というスローガンをかかげ、
市民に豊かなホテルライフを提案し、
愛され親しまれた西鉄グランドホテル。
福岡のめざましい発展を後押しするとともに、
福岡のリーディングホテルとして
以後ホテル建設ラッシュの引き金となっていく。
西鉄グランドホテルは1967年(昭和42年)11月20日に着工以来
17ヶ月、1969年4月21日にオープンした。
浦辺建築事務所の設計デザイン、施工は鹿島建設が担当。
地下1階、地上14階、宴会場大小11室を備えた本格的都市型ホテルである。
ホテルの外観をはじめ、
設備施設は随所に優れた素材が選定され、
機能美と優雅さを兼ね備えた
格調高い設計、デザインが施されている。
それは、浦辺建築事務所※のもとに参集した、
株式会社ニック、葉祥栄氏、照明の多田美波氏等の
卓越したデザイン力、技術力に負うところも多い。
本格的ホテル誕生に込める、
新しい挑戦と意気込み、
そして時を越え館内のいたるところで輝きを放ち
現在も色あせないデザインの数々を見てみよう。
※浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう 1909〜1991年) 岡山県児島郡粒江村(現・倉敷市)出身。倉敷レイヨン(現・クラレ)の営繕関連部門勤務を経て独立。倉敷レイヨン社長、大原総一郎氏の庇護のもとに設計活動を行った。 倉敷レイヨン時代から大原総一郎氏の構想する、倉敷のまちづくりを建築家として支え、総一郎氏死去後も大原家や倉敷に関する建築をはじめ、多くの作品を残している。特に、倉敷紡績の赤煉瓦の元工場をホテルに改装した倉敷ビースクエアーのほか、大原美術館分館、横浜開港資料館、倉敷市役所などが有名。一貫して古典的様式を引用した建築デザインを展開した。 |
<第1章 概要>
時代を先駆けたポストモダニズム建築。 |
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1967年当時、建築界は機能優先、合理的で幾何学的な形態を追求するという、モダニズム建築が主流であった。装飾的なものなど、もってのほかという時代であった。そんな時代に、この建物は館内のいたるところに、適宜な節度ある装飾が盛り込まれている。それは、訪れる人を迎えるメインエントランス横に施された、玄界灘を模したレリーフや柱のレリーフに見て取れる。また、鋭角な処理を排除し、丸みを帯びたコーナーづくりになど、独自の「もてなしの心」が重視されている。現在、この建物を歴史的に振り返ると、1980年代に建築界を席巻したポストモダニズムの先駆けであったが、しかしあまりにも時代の先を行っていた。 | |
ポストモダニズムの時代には、高層建築にも屋根を乗せるというデザインが流行した。西鉄グランドホテルを見てみると基壇、主階、屋根という三層の構成である。しかし当時このようなデザインの建物は皆無と言える。また、プレキャストパネルの外壁という工業的技術に凹凸をつけて、陰影をつくるという装飾的アイデアも希少である。近代技術と伝統デザインが見事に融合した、当時、未来を予見する建築であった。 | |
<第2章 施設・設備>
福岡の中心にそびえる偉容、
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外装は乳白色、プレキャストパネルの軽量コンクリートである。天候や時間にパネルの壁面はその凹凸により様々な色合いに変化する。とくに水平のラインに見られる歯型のパターンは、くっきりと光と影の模様を描き出し外観に華やかな趣を添える。外壁東面に見られるライオンのシンボルマークは長径2m真鍮鋳物に金箔貼り、車のヘッドライトで豪華に輝き、ペントハウスに施された欧文ロゴタイプは木製金箔貼りのチャンネル文字、夕日に立体的な影を落とす。どちらも西島伊三雄氏のデザインである。外装にネオンは無く、外光を生かした荘厳さを漂わせている。当時周辺には高いビルは少なく、その偉容はビジネスマンや天神周辺に訪れるショッピング客の目を奪い、一度は訪れたい利用したい、憧れのホテルとなっていた。 |
文:清水要(K’sクリエイティブエージェンシー)