「こりゃ、ネーミングがよーなか。

“うまかっちゃん”って、いいっちゃないや」

 

-博多ラーメン『 うまかっちゃん』誕生実話-
昭和54(1979)年ー

 

今ではすっかり人気商品となった博多ラーメンの豚骨スープ『九州の味ラーメンうまかっちゃん』だが、昭和54(1979)年新発売当時、東京のハウス食品工業が九州限定の豚骨味ラーメンとして九州で売り出したいと企画していた商品で、広告代理店を通じて、西島伊三雄にパッケージデザインの依頼が来た。その時にはすでに「こらうまか」という商品名が第一候補として上がっていた。ハウスの人と広告代理店のディレクターがアトリエにやって来て、そのプランを説明した。黙って聞いていた西島伊三雄は、例によって、遠慮容赦のない言葉をストレートに、その問題点を広告代理店のディレクターに向かって発した。

「あんたね、こりゃ、ネーミングがよーなか。“こらうまか”やら、つまらんって」と。

西島伊三雄は最初、この仕事を断わった。自分に嘘をつけない性格の彼は、納得できない仕事を受けることができなかった。

「あたしは、仕事を頼まれるのはうれしか。それも東京の会社から。すんまっせんばってん、悪口になるかも分からんばってん、ハウスさん、博多でラーメンに“ハウス”がついとったらカレーのイメージが強か。カレーラーメンみたいな感じがして、こりゃ売れんですばい」。同席していた雅幸さんは内心ハラハラしていた。その当時、ハウス食品のテレビCMで、西城秀樹やアイドルたちが「ハウスバーモンドカレーだよ〜♪」とバンバン歌っていた頃で、九州や福岡の消費者の頭の中は、「ハウスといえばカレー」でいっぱいだったのである。しかも地元の心を掴んでいないこのネーミングでは、売り出してもお客さんによろこんで買ってもらえない商品だと西島伊三雄は、その天才的直観で感じていたのだろう。

その後で、西島伊三雄がディレクターを諭すようにこう語った。

 

西島伊三雄先生の仕事場(復元)

「このネーミングは、よーなか。“こらうまか”やら。何でいかんて言いようか、知っとーや。“こらうまか”て、男言葉やろが。でも、ラーメンは、母親が子どもの夜食に買いに行くとぜ。お母さんが店に行って『“こらうまか”くださーい』って言うたら、男言葉使いよーごたろうが。そうやなくて、やさしい言葉にしやいて。昔は、『えいちゃんうどん』やら、『うめちゃんうどん』やら、流行りよったたい。人の名前みたいのが多かったね、博多うどんは。やっぱ、「ちゃん」ってついとったら、可愛いかろーが。人のこと、○○○ちゃんて、呼ぶやないや。なら、“うまかっちゃん”って、いいっちゃないや」。

ハウス食品の人にもすぐに納得してもらえ、この一発で『うまかっちゃん』のネーミングが決まった。「ハウス」の名前もパッケージに入れないことになった。西島伊三雄の仕事はいつも速かった。アイデアの内容もいつも他を抜きん出るが、アイデアが出てくるのも早かった。その場で出て来る。なぜそれがいいのかよくないのか、その背景や理屈も明快だ。相手にも分かりやすく納得がいくから、仕事の方向と戦略まで大概その場で決まった。天才絵師 西島伊三雄には、計画を聞いた時にはすでにその先の展開すべき道筋が見えていたから、考えはさらに先へと進んだのである。

「なら、長谷川法世さんがよかっちゃなかろうか」

これで、『うまかっちゃん』の商品発売計画はほぼ出来上がったも同然だった。後は、西島伊三雄の絵筆がパッケージに踊るだけである。

博多ラーメンの『うまかっちゃん』は、長谷川法世さんの人気漫画『博多っ純情』のキャラクターを使った大量のテレビCMの効果もあって、発売開始から半年後には、九州地区で袋麺のトップシェアとなった。

文:橋本明(FUDAコピーライター)