中山文孝 なかやま よしたか Yoshitaka Nakayama 1888年(明治21年)9月1日 中山文太郎・ナツの長男として誕生 1907年(明治40年)3月27日 長崎県立五島中学校卒業 1908年(明治41年) 書店開業 1910年(明治43年)12月2日 飯笹元治・セツの長女ノブと結婚 1912年(明治45年) 長女フミ子誕生 1918年(大正7年) 次女イト子誕生 19 […]
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8月 18, 2016 •
1940年(昭15年)、当時の東京市では、日本の国威を内外に示すために大きな2大イベントが計画されていた。東京オリンピックと、日本万国博覧会である。残念ながら両催事とも諸事情で中止となり、幻の東京オリンピック、幻の日本万博と云われているが、この日本万国博覧会の全国公募ポスター展において、一等賞と三等賞のダブル受賞に見事輝いたのが、長崎在住でデザイン活動をしていた中山文孝(なかやま よしたか)さんで […]
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3月 12, 2014 •
この度、福岡県のデザインのあり方を追求する活動の一環として下記のセミナーを開催いたします。 内容は、福岡・九州のデザインの実績を明らかにするアーカイブスの情報発信として、福岡の都市の成り立ちの映像作品の上映、全国に先駆けてインテリアデザインのショップとして先駆的な活 動をし親しまれた「NIC」。 そして、九州発の都市型ホテルとして福岡のシンボルとなった、西鉄グランドホテルにまつわるエピソードを語る […]
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11月 1, 2013 •
「どげんしたら自分の描いた絵が、人の目に触れるか。 なら、ポスターで1等賞とったらよかろうもん」 -ニシジマ図案社開業~観光ポスターに全力投球時代- [昭和22(1947)年~昭和50(1975)年] <1部:フリーデザイナーとして独立~「宝くじ」ポスターで特待賞受賞> 「子どもの頃から目立ちたがり屋だった父が、映画の看板の次に出合ったのが観光ポスターだったとです」と、雅幸さんは、尊父、西島伊三雄 […]
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10月 15, 2013 •
「赤は傷薬の赤チンやろ、黄なはマラリアの薬キニーネばすり潰してくさ、緑はその辺の草の汁たい」 ービルマ・メルギー島にて終戦~ムドン収容所で描いた「ビルマスケッチ」ー [昭和18(1943)年~昭和21(1946)年] <1部:広島呉港から南方へ~終戦~収容所生活の中でスケッチ> 昭和18(1943)年12月、佐世保第一海兵団(海軍)に入団した西島伊三雄二等水兵は、約1週間後、広島の呉港から輸送船に […]
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10月 4, 2013 •
「鞍馬天狗やら丹下左膳やら、 こげな看板の絵が描けたら、よかろうねー」 ー15歳「トヨタ図案社」入門、図案修業時代~朝日広告社入社、海軍入隊ー [昭和13(1938)年~昭和18(1943)年] 子どもの頃から絵を描くことが大好きで、将来は画家になりたいと夢見ていた西島伊三雄少年は、映画も好きで、学校を出たら、とりあえず映画館の“看板絵描き”になろうと思っていた。「この辺が後の、グラフィックデザイ […]
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7月 18, 2013 • Comments Closed
最終更新日:2013.7.18 博多を愛した。祭りを愛した。博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 西島伊三雄氏の経歴 1923年 大正12年 福岡市街に生まれる(5月31日) 1931年 昭和06年 8歳 満州事変勃発(9月) 1936年 昭和11年 13歳 御供所尋常小学校卒業(3月) 1938年 昭和13年 15歳 福岡男子高等小学校卒業(3月)福岡市の図案家、豊田好夫に入門(4月) 1939 […]
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5月 18, 2013 •
<第2章−2> 訪れるお客様を 玄界灘の白波で お出迎え。 波型の面格子は 今も健在。 メインエントランス(正面玄関)は北側を向き、玄界灘と対峙する。入口の面格子は玄界灘の荒波を連想させる尾形光琳の波模様を、アルミ鋳物で表現した田島順三製作所によるもの。福岡への旅情をさりげなく感じさせる心憎い演出である。入口柱は花咋鳥(はなくいどり)のレリーフがあしらわれている。花と鳥は全館のモチーフとなっ […]
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3月 19, 2013 •
「福岡の応接間」として生まれた福岡初の本格的都市型ホテル 西鉄グランドホテル 西鉄グランドホテル〒810−8587福岡市中央区大名2−6−60 https://www.grand-h.jp/ 1969年(昭和44年)4月21日開業。 福岡は西日本の行政、経済、文化、観光の拠点として 飛躍を遂げつつあった。 福岡にはホテルが少ない。福岡には本格的なホテルがない。 そんな要望に応えられる、また国際交 […]
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8月 6, 2012 • Comments Closed
【連載記事】博多が産んだ天才絵師 西島伊三雄 戦地で聞いたハーモニカ 「ふるさと」を唄いながらみんな涙した 童画作家の原風景 全日本観光ポスターコンクールで次々に大賞受賞 大阪万博の幻のシンボルマーク事件 ナショナル冷蔵庫「花束」1等賞金と「歩みの箱」 二科会〜日宣美の頃 RKBテレビ「やあ今晩は」テレビ司会者 テレビ天気予報 絵のおじさん 九州グラフィックデザイン協会設立 博多祗園山笠ハワイ遠征 […]
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8月 6, 2012 • Comments Closed
「昔は、次郎丸にゃ、蛍が飛びよったと。 なら、いつか蛍が帰って来るごたあマークばつくりやい」 -福岡市営地下鉄各駅のシンボルマーク-昭和56(1981)年〜平成17(2005)年ー 博多を誰よりも愛したグラフィックデザイナー 西島伊三雄は、繰り返し描いた博多の三大祭り「博多どんたく」(5月)、「博多祗園山笠」(7月)、「放生会」(9月)の作品でも親しみをもって広く知られているが、私たちにとって […]